人的資本経営とは?その基本や注目される背景、成功事例まで総解説
近年、企業経営に求められているのが「人的資本経営」、すなわち、人材の力を最大限に引き出すことで、企業価値を高めていく経営 です。 今回は、人的資本経営とはどのような経営手法なのか、人的資本経営が求められるようになった背景や取り組む時に必要な視点、すでに人的資本経営に取り組んでいる会社の先行事例をご紹介します。
目次[非表示]
- 1.■人的資本経営とは?
- 2.■人的資本経営が求められる背景
- 3.■人的資本経営に必要な3つの視点
- 4.■人的資本経営の成功事例
- 4.1.●旭化成
- 4.2.●オリエンタルランド
- 4.3.●ドイツ銀行
- 5.■人的資本開示をめぐる世界・日本の動き
- 6. ■まとめ
■人的資本経営とは?
人的資本経営とはどのような経営手法なのでしょうか。まず、その意味から確認していきましょう。
●人的資本とは?
人的資本とは「個人が持つ知識・技能・資質といった資本」を指す言葉です。その起源は18世紀にさかのぼり、もともとは近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスが提唱した概念です。その後、ノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカー氏を筆頭に経済学の分野で再定義が進み、現在はビジネスの場でも使われるようになりました。
●人的資本経営とは?
人的資本経営は、この「人的資本」に「経営」を加えた言葉で、「企業成長の源泉である人的資本、すなわち、個人が持つ知識・技能・資質などに積極的に投資することで、中長期的な企業価値を向上させる経営手法」のことです。英語では「Human Capital Management」と表記されます。
「人材≒人件費≒費用(コスト)として捉え管理する」のではなく、「人材≒企業の競争力の源泉≒資本として捉え、投資し、その価値を伸ばしていく」という考え方である点が、これまでの人材マネジメントとの大きな違いです。
人的資本経営への理解を深めるには、人的資本経営が重要視されるようになった背景や流れを理解しておくことが重要です。次に、「人的資本経営が求められるようになった背景」を解説します。
■人的資本経営が求められる背景
人的資本経営が注目されている背景には、次の2つの大きな時代の流れがあります。
●競争力の源泉が「無形資産」にシフト
人的資本が重視されるようになった背景には、製造業主体からサービス業主体の産業構造に変化する中で、人的資本や知的財産などの「無形資産」が、企業の競争力を左右するようになってきたことがあります。
米国では、量産型製造業からITや情報通信業へと産業構造の中心軸のシフトに成功し、「マイクロソフト」「アップル」「アマゾン・ドット・コム」「アルファベット(Google)」「セールスフォース」「メタ・プラットフォームズ」など、企業価値に占める無形資産比率の割合が高い企業が、世界トップクラスの企業へと急成長しました。
その結果、米国では、S&P500(米国大型株の動向を表す株価指数) の時価総額に占める無形資産比率が年々増えており、2020年には9割に達しています(図1)。
図1:時価総額に占める無形資産の割合(米国市場/S&P500)
※引用:内閣官房 「非財務情報可視化研究会第1回( 基礎資料p5)」をもとに弊社作成
図2:時価総額に占める無形資産の割合(日本市場/日経225)
※引用:内閣官房 「非財務情報可視化研究会第1回( 基礎資料p5)」をもとに弊社作成
一方で、日本の状況を見ると、2020年の日経225の時価総額に占める無形資産比率は32%と低い数字にとどまっています(図2)。また、GDPに占める日本企業の能力開発費の割合も2010〜14年平均で0.1%となっており、先進国の中で低い水準にあります(図3)。
量産型製造業の市場で世界シェアを落としている日本は、新たな産業構造への転換が必要とされており、その起爆剤となる人的資本を活かした経営の実行が求められています。
図3:GDPに占める企業の能力開発費の割合の国際比較(OJT以外)
※引用:厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析(p89)」をもとに弊社作成
●投資家の非財務情報への関心の高まり
また、投資家から人的資本を含む「非財務情報」の開示を求める声が、世界的に高まっている点も、人的資本経営に関心が集まっている理由のひとつです。
これまでは、財務情報を分析し企業の成長性を判断することが一般的でした。しかし、非財務情報が企業価値におよぼす影響が大きい現在では、従来のように財務情報だけで企業の未来を判断することが難しくなってきています。このような流れの中で、投資家からは人的資本を含む非財務情報についての開示を求める声が高まっています。
イノベーションも、サービスも、信頼も、すべては人が生み出していくわけですから、企業がどのような人材戦略を描いているのかが投資家から問われる時代になったわけです。このような時代の流れを前提とした人的資本経営の推進が求められています。
■人的資本経営に必要な3つの視点
さて、ではどのように人的資本経営に取り組めばよいのでしょうか?
本記事では最初の一歩を考えるヒントとして、経済産業省が公開した「人材版伊藤レポート2.0」で提言された、今後の人材戦略に必要な「3つの視点」をご紹介します。
(注)企業の状況は様々であり、「3つの視点」のすべて網羅的に取り組む必要はないとされています。自社の人的資本経営を考えるアイデア集としてご活用ください。
(1)経営戦略と人材戦略の連動
「人材版伊藤レポート2.0」では、企業価値を持続的に向上させるためには、経営戦略と人材戦略の連動が重要である点が強調されています。具体的な取り組みとしては、以下の7つが紹介されています。
①CHRO(最高人事責任者 / Chief Human Resource Officer)の設置
他経営陣や社員、投資家との対話を通して、経営戦略と人材戦略を連動させる責任者の設置。 ②全社的経営課題の抽出
経営戦略を実現する障害となっている人材面の課題を整理し、改善の進捗を管理する。
③KPIの設定、背景・理由の説明
人財戦略のPDCAを迅速に行うためのKPIの設置。また、なぜこのKPIが重要なのか背景や理由の説明を通して、社員や投資家に対する人材戦略の説得力を高める。
④人事と事業、両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリティ向上
人事施策における人事部門と事業部門の役割分担を明確にする。また、人事部門による事業部門の人事施策支援体制の構築を行う。
⑤サクセッションプランの具体的なプログラム化
サクセッションプラン(後継者育成計画)の運用で、経営戦略上の重要ポストが将来において欠けないようにする。
⑥指名委員会委員長への社外取締役の登用
取締役の選任や解任に関する議案を決定する「指名委員会」の委員長への社外取締役の登用により、社内の論理に過度にとらわれずに次期経営者の指名を行う。
⑦役員報酬への人材に関するKPIの反映
役員報酬制度を活かし、人材に関するKPIの達成を経営陣共通の目標とする。
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これまでの人材戦略との違いとしては、
- 経営戦略との連動の強化
- KPIの設定による人材戦略の進捗や成果の定量把握・情報開示
- 「CHROの設置」「役員報酬への人材KPIの反映」など戦略運用体制の強化
といった点に特徴があります。
(2)As is - To be ギャップの定量把握
経営戦略を実現する際の「人材面の目指すべき姿(To be)」と「現在の姿(As is)」のギャップ=課題を特定したうえで、人材に関するKPIの目標値と進捗状況の一覧化が求められています。人材に関する状況を数値化することで、人材施策の柔軟な見直しが可能になるからです。
(3)企業文化への定着
企業価値の向上につながるような企業文化が土台として必要であることが強調されています。具体的な取り組みとしては以下3つがあげられています。
①企業理念、企業の存在意義(パーパス)、企業文化の定着
②企業として重視する行動や姿勢の社員への浸透(任用・昇格・報酬・表彰など)
③CEO・CHROと社員の対話の場の設定
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►参考:経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~(令和4年5月)」
■人的資本経営の成功事例
「人材版伊藤レポート2.0」の中では、人的資本経営のポイントとして「経営戦略と人材戦略の連動の重要性」が強調されています。では、連動している戦略とは、一体どのようなものなのでしょうか?人的資本経営を推進している国内外の先行事例を3つ紹介します。
●旭化成
<ストーリー>
経営戦略を実行するために必要な人材(スキル・人数)を確保するための人材戦略
旭化成では、今後の成長を牽引する「10の事業(“GG10”)」を定め、“GG10”が 生み出す営業利益が事業全体に占める割合を、2021年度の約35%から、2024年度には50%超、2030年度近傍には70%超の水準にまで成長させることを目標に掲げています。
そして、“GG10”へと事業の中心軸を移すために必要な「人材のスキル」や「人数」を可視化、人材に関する主要KPIとして次の3つを定めています。
①高度専門職の人数
22年度実績:294人 → 24年度目標:360人
②エンゲージメントサーベイにおける成長行動指標
22年度3.71をより高めていく
③ラインポスト+高度専門職における女性比率を通したDE&I※
22年度実績:3.7% → 30年度目標:10% ※DE&I:ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン |
また、主要KPIを実現するための具体的な取り組みとしては、「従業員1人あたりの年間研修時間の開示」や「人財関連KPIと役員報酬の連動」といったことを推進しています。
目指す事業ポートフォリオから逆算して、どのような人材が何名必要なのか詳細に算出しており、経営戦略と人材戦略をつなぐストーリーが明確な、人的資本経営の計画となっています。
►参考:旭化成株式会社「中期経営計画 2024 ~Be a Trailblazer~」
●オリエンタルランド
<ストーリー>
人材の力を最大限に引き出す人事戦略で、経営目標「ゲストの体験価値向上」を実現する
同社は、 2024年中期経営計画の中で「ゲストの体験価値向上」を経営目標に掲げています。
そして、その実現には大規模開発といったハード面の取り組みに加えて、新たな発想でゲストサービスの向上やオペレーションの改善を推進できる人材が必要と定め、「従業員の働きがいの向上(エンゲージメントの向上)」をKGI(重要目標達成指標)として掲げています。
具体策としては、「働きがいに関する調査(エンゲージメント調査)の結果を受けた組織マネジメント改革」「人事制度および処遇の見直しの検討」「バックステージ施設の改善」といった取り組みを例示しています。
一般的には経営目標達成のためのプロセス指標とされることの多いエンゲージメントを、自社にとってゲストの顧客体験が重要であり、エンゲージメントの高さがそれを生み出すという信念と戦略のもと、目指すべき経営指標として掲げていることが特徴的です。
►参考:株式会社オリエンタルランド「2024中期経営計画」
●ドイツ銀行
<ストーリー>
「人的資本ROI」を開示、人材戦略を利益向上につなげている
ドイツ銀行はISO30414を取得しており、ISO30414に準拠した「人的資本報告書」を発表しています。ドイツ銀行の取り組みで特徴的な点は、人材への投資がどれほど効果的に企業の成長をサポートしているのかを測定するための「人的資本ROI(投資利益率)」を計測・可視化している点です。
人材に対する投資の効果を可視化し、人事施策の改善に活かしてきた同社の「人的資本ROI」は、2020年度26.9%、2021年度37.5%、2022年度63.7%と実際に年々向上しています。
「人的資本ROI」をすぐに活用できる企業は少ないと思いますが、人的資本経営とは「人を大切にする経営」から一歩踏み込んだ「人の力を最大限に引き出すことで、企業価値を高めていく経営」であり、何らかの形で 投資対効果を可視化することの重要性を教えてくれる先行事例と言えます。
►参考:ドイツ銀行「Human Capital Report 2022」
■人的資本開示をめぐる世界・日本の動き
人的資本経営が注目されている背景には、投資家の存在が大きくあります。そのため、人的資本経営に取り組む際は、投資家のニーズを押さえておく必要があります。
ここまでは「人的資本経営」ついて解説してきましたが、最後に、投資家からの要望を受け、欧米や日本で進む「人的資本の情報開示」をめぐる世界・日本の動きを振り返ります。
【人的資本経営】 自社の競争力を高めるために、従業員の知識・スキル・経験を戦略的に管理、育成すること 【人的資本の情報開示】 投資家やその他のステークホルダーに、自社の人的資本の目標や取り組み、成果を公開すること |
●ISO(国際標準化機構)
人的資本については、各国で強制力のある開示制度が義務づけられる前に、先行して任意のフレームワークの策定が行われてきました。中でも、ISO(国際標準化機構)が2018年に整理した、「ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)」は、その後の各国の制度にも影響を及ぼしており、人的資本に取り組む際に必ず確認したい情報です。
【参考資料】ISO30414の11項目58指標
※ 経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」資料より弊社編集・翻訳
●EU(欧州連合)
EUでは、2014年とはやくから「NFRD(非財務情報開示指令)」において、従業員500人を超える大企業に対して従業員を含む情報の開示が義務づけられてきました。
その後、2023年1月には 、開示企業数や情報量の不足を解決するため「CSRD(企業サステナビリティ報告指令)」が発効され、2024年より順次適用開始予定です。
「開示対象企業の拡大」「より詳細な開示の義務化」 「ダブルマテリアリティ」「第三者保証の義務化」などが決まっており、EUでは、企業のサステナビリティ情報開示の強化が進んでいます。
● 米国
米国では、投資家からの申し立てを受け、2020年に証券取引委員会が「非財務情報に関する開示についての規則(Regulation S-K)」を改正、米国上場企業に対して人的資本に関する開示を原則主義で義務付けました。原則主義のため、現在は人的資本のどの情報を開示するかは企業に任せられています。
その後2021年からは、情報開示を強化する法案「Workforce Investment Disclosure Act of 2021」の審議が行われています。米国に子会社や事業拠点を有する日本企業の場合は、審議の経過に留意する必要があります。
審議されている8つの人的資本開示項目
1.契約形態ごとの人員数
2.定着・離職・昇格・社内公募
3.構成・多様性
4.スキル・能力
5.健康・安全・ウェルビーイング
6.報酬・インセンティブ
7.経営上必要となったポジションとその採用の状況
8.従業員エンゲージメント・生産性
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● 日本
日本では、経済産業省が2020年9月に発表した「人材版伊藤レポート」の中で、持続的な企業価値の向上を実現するために「今後は人的資本経営が鍵になる」と強調されたことが、人的資本経営に注目が集まるきっかけとなりました。
その後、金融庁金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ」が2021年に発足、企業情報の開示のあり方について検討が行われ、2023年3月期以降の有価証券報告書等においては、「人的資本の戦略」や「指標及び目標」などのサステナビリティ情報の開示が義務化されました。開示義務化の具体的な内容は下の図の通りです。
【参考情報】サステナビリティ情報の開示義務化
※金融庁「https://www.fsa.go.jp/policy/kaiji/sustainability02.pdf」をもとに弊社作成
開示の義務化後も、SSBJ(サステナビリティ基準委員会)において日本版の具体的な開示基準の審議がスタートされ、金融庁からは「記述情報の開示の好事例集2023」が発表され、「投資家・アナリスト・有識者が期待する開示のポイント」や「好事例企業の取り組み」が公開されるなど、さらなる開示の充実化にむけた動きが進んでいます。
■まとめ
従業員のスキルや経験を戦略的に管理・育成することで、生産性向上やイノベーションを生み出していく「人的資本経営」の重要性が高まっています。今までの人材戦略との違いは、「経営戦略とのより強固な連動」「人的資本経営の進捗を可視化するKPIの設定の必要性」といった点です。
弊社では、人的資本経営の重要なKPIのひとつである「従業員エンゲージメント」を可視化するための「tenpoketチームアンケート」をご提供しています。
従業員エンゲージメント調査「tenpoketチームアンケート」は、国立研究開発法人 産業技術総合研究所との共同研究をベースに開発した調査設問・分析データを有しています。詳細につきましては、お気軽にお問い合わせください(お問い合わせはこちらから)。